小田原城天守閣(館長)

小田原城天守閣(館長)
諏訪間 順さん

小田原のシンボル「小田原城」
を知り尽くす

1960年神奈川県生まれ。立正大学文学部史学科考古学専攻課程卒業後、東京都立大学にて博士(史学)取得。
専門は、城郭考古学・旧石器考古学。1982年より小田原市教育委員会文化財保護課に奉職し、史跡小田原城跡住吉堀や銅門、馬出門をはじめとする小田原城の発掘調査・史跡整備を担当。
2010年より観光課に異動し、天守閣耐震改修・展示リニューアルを担当。2013年より天守閣館長を務める。
小田原城の風景

小田原城
最大の魅力

それは、なんといっても「総構(そうがまえ)」。
小田原城を周囲9キロにも及ぶ堀と土塁が囲み、城下町はもちろん田畑なども包容しており、3ヶ月に及ぶ籠城戦にも耐えることができたのだそう。
総構は「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」という北条氏の民の生命と財産を守るという思いのあらわれであり理念。この理念が、小田原市民に未来まで大切に受け継がれていけば素晴らしいことである。
小田原合戦に豊臣方として参戦した武将たちは、戦後、こぞって小田原城にならった総構の城をつくるようになった。大阪城や江戸城がまさにそれである。

発掘から知る
小田原の歴史

小学校時代から考古学に興味をもちはじめた諏訪間さん。
10歳のころ自宅の造成で縄文土器や黒曜石のヤジリが出たことがきっかけになっているかもしれない。
日本では、80年代前半に色々なお城で発掘整備が行われ始め、小田原城も発掘を開始し、発見されたものから新たに発展過程がわかってきた。特に、戦国時代の小田原がどういうものだったのかも明らかに。
馬出門や銅門などを復元整備することは困難な作業ではあったが、とても達成感のあるものだったそう。
小田原城天守閣 館長 諏訪間さん

小田原城 銅門

活気あるまちづくり
その中心にあるもの

2016年、小田原城天守閣がリニューアル。この時、天守閣の改修工事と合わせて、城内の環境整備も同時に行われた。
ベンチやゴミ箱などを小田原の木材を使用し一新したのも景観整備のひとつ。これを機に、様々なイベントも開催。テレビ番組などでも小田原城が多く取り上げられるようになり、諏訪間さんは積極的に取材に応じ、小田原城の認知拡大と来場者数増に尽力。

想いは
小田原のために

小田原城天守閣の入場者数は、今から約63年前オープン時は約50万人ほどいた。しかしながら、平成15年には一時30万人を割る状態に。平成20年くらいにはお城・戦国・歴女ブームなどが起き、小田原城も注目され、リニューアル直前には再度約50万人の入場者まで復活を遂げる。
このタイミングでのリニューアル工事。従来お城の耐震工事は約2年ほどかかるものだった。
しかし、小田原城はなんと約10ヶ月という異例の早さで改修工事を終える。
2016年5月1日リニューアルオープンから12ヶ月の入館者は、なんと約86万人。
小田原城天守閣があることによって小田原に観光客が来てくれる。工事で止まったお客様の足を早く戻すことが重要。お客様の安全を守りながら、短い工期にすることは、小田原の経済にも貢献したといえる。
小田原城天守閣

小田原の海

城下町小田原
その魅力

小田原は海・山・川などなんでもあり、海に近い「かまぼこ通り」などは、明治時代以降の生業が残っていて風情を感じる。
お城を見てから、かまぼこ通りを堪能し、海まで散策を楽しめる、海といったいとなった街。2023年は、1523年に2代氏綱が「伊勢氏」から「北条氏」へと改姓し、戦国大名小田原北条氏が誕生して500年という節目の年にあたる。
そこで小田原市として、「小田原北条氏誕生500年」にあわせて、北条氏を顕彰する学術的なシンポジウムなども開催し、「北条五代を大河ドラマに!」に向けて、活動を行っている。これからの小田原の発展がさらに楽しみである。

小田原城

住所 〒250-0014 神奈川県小田原市城内
公式サイト https://odawaracastle.com/